電子新聞はなぜ実用化されないか

いまに紙の新聞はなくなるさ。

そんな言葉を、これまでに何度も聞いたことがあります。

文字や写真で最新のできごとや文化を知るという、新聞のニーズ自体が別になくなるわけではありません。

通信技術や表示技術の発達に伴って、大量に印刷し、配送し、配達員が家庭まで届ける。

そんな非効率なスタイルは経済的合理性からいって姿を消すだろう、ということです。

データを高速通信で家庭に送り、ディスプレイで読み、どうしても紙にしたい部分は、そこだけをプリントアウトすればいいではないか、ということです。

少なくとも20世紀の後半から、そういうことは言われていました。

しかしそれはまさに「いまに」の世界であり、具体的な構想とはいえませんでした。

1980年代にはISDNが実用化されて電話線上をデジタルデータが比較的高速に流れるようになり、多少その夢が近づいたとも言われました。

1990年代にはインターネットが普及する一方で、衛星によるデータ配信も本格化しました。

さらにインターネットのブロードバンド化も進み、インフラストラクチャー面では実現手段が見えてきたといってもいいでしょう。

ビジネスモデルとして考えてみましょう。

現在の新聞ビジネスの直接費用は、大きく分けて取材して紙面を作る制作費用と、紙を購入しコンテンツを印刷しそれを家庭にまで配達する製造費用とからなります。

一方で収入の柱は、読者から支払われる購読料と、紙面に載る広告の掲載料です。

ある新聞社の人から、きわめて大ざっぱにいって、制作費用と広告掲載料は、ほぼ見合うくらいだ、と伺ったことがあります。

ということは、電子的な配送コストが限りなくゼロに近づけば、広告収入のみによる無料電子新聞事業も、全読者がそれに移行するなら、またクライアントが同じ価値を認めるなら、成り立つということです。

無料であれば現在より読者が増え、より儲かるかもしれません。

しかしそれにもかかわらず、電子新聞はなかなか普及する兆しを見せません。

もちろん多くの新聞社はWEBサイトを持っており、最新のニュースはそこで見られますから、それが電子新聞といえないこともないのですが、それが中心事業になっているという話はききません。

電子新聞はなぜ実用化されないのか。

そのおそらく最大の理由は、紙で読むことに比べ、ディスプレイで読むことにはどうしても抵抗感があるからだ、と考える人が多いのです。

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